院長紹介
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やわた姿勢整体院 院長
横川 賢一
1979年10月12日生まれ 千葉県出身
略歴
厚生労働大臣認可有資格者 柔道整復師
足のスペシャリスト養成塾認定フットマスター取得
カナダBi-op社認定オーソティックアドバイザー取得
BMK美健セラピーマスター取得
猫背矯正整体技術取得
JACS主催 姿勢分析セミナー修了
Improving Posture Technique 取得
施術家を目指したきっかけ
こんにちは!「やわた姿勢整体院」 院長の 横川賢一 です。
私は21才の時にこの業界に入り、以来、整形外科や整骨院にて勤務経験を重ねてきました。
私が施術家を目指そうとしたのは、中学時代所属していたテニス部での怪我がきっかけでした。
ある日の練習中に左足首をひどく捻ってしてしまい、くるぶしの部分が大きく腫れあがり痛みで歩く事も難しくなり、「骨でも折れてるんじゃないか?」という不安から整形外科に行きました。
レントゲン検査の結果、幸い骨に異常は無く「足首の捻挫」と言われました。骨折は免れましたが足首をテーピングと包帯で固定されたために部活も休まざるをえなくなり、その日からしばらくはリハビリのために通院するという生活が続きました。
一定期間が過ぎて痛みも少し落ち着いたころ、足首の機能低下を防ぐためにリハビリ担当の先生が足首のストレッチやマッサージなどの施術を行ってくれました。
それまでどこかに定期的に通院をするという経験は無かったので、怪我に対し「手で施術を行い回復させる」という仕事を間近に見て、大変珍しく興味を惹かれました。
施術と合わせて自宅での「セルフケア・筋トレ」などの指導もしていただき、それらを実践したところ3週間ほどで歩く事に不自由しなくなりました。
当時の私は「怪我に対し手技を施して回復させていく仕事とは、なんて凄い職業なのだろう!」と、衝撃を受けたのを覚えています。
先生のアドバイスを愚直に実践していくうちに少しずつ確実に回復し、部活にも徐々に参加できるようになっていきました。
その後も通院を続けるうち、スタッフの方々とたくさん会話をする機会が増えていきました。
リハビリスタッフの先生達はそれぞれに資格をお持ちで、柔道整復師(ほねつぎ)や鍼灸あんまマッサージ師、放射線技師といった、怪我や人の体のプロフェッショナルな資格を持つ方々だと知りました。
お医者さん以外にも現場で活躍される方がたくさん存在する事を知り、また自然とそのような職業に憧れるようになりました。
アシスタント時代
やがて高校卒業にあたり、中学時代から憧れていた柔道整復師(ほねつぎ)免許取得のための専門学校に進学するべきか悩みました。しかし専門学校は学費も高く、はたして本当に自分に合う職業なのかもわからずにいたため、進学に踏み切る事ができませんでした。
そこでまずは自分の適性を見定めるために、実際に整骨院で「アシスタントとして働いてみる」という結論に至りました。もし「これは本当に自分がなるべき職業だ」という確信が持てるようであれば、改めて資格を取るために専門学校への進学を決めるという判断をしたのです。
アシスタントとして働くに当たり、先述の中学時代からお世話になっていた整形外科の系列の整骨院を紹介していただく事ができ、そこで親元を離れ一人暮らしをしながら働き始めました。
高校時代にレストランでのバイト経験こそあったものの、当然ながら整骨院業界の事は何もわからなかったために仕事を覚えるのには非常に苦労しました。
難しい漢字の体の部位や筋肉、聞きなれない専門用語、「人の体」を扱うという業種上の気配りなど…全てが未知の世界でしたが、中学時代から憧れていた職業の世界を少しでも多く知るために必死になって仕事を覚えました。
しかし、実際には興味本位だけで勤まる仕事ではありませんでした。
院長はじめ先生方の仕事がスムーズに運ぶよう毎日たくさんの方を誘導し、様々な手伝いを行うというのはとても大変でした。まだ資格も無い状態のため、できる仕事もサポートや雑用のみ。
「はたして自分にはこの業界が適しているのだろうか?そもそも、資格を取得する事ができるのだろうか?」と、漠然と考えていました。
そんな毎日でしたが、仕事を続けるうち次第に利用者様とも仲良くなり、お話をする機会も増えました。高校時代にレストランのバイトで学んだ接客サービスが活きたのだと思います。
もともと人対人の仕事がやりたかった事もあり、健康に貢献する事で喜んでもらえる整骨院の仕事に対し、徐々にやりがいを感じ始めました。
それでもまだ進学しようか迷う日々でしたが、ある日職場の先輩が私に言ってくれました。
「この仕事は君に合っている。君の天職だよ」と。
今でも決して忘れられない、思い出すたびに勇気づけられる言葉であり本当に嬉しかった事を鮮明に覚えています。
その言葉に後押しされ、資格を取るため専門学校に進学する決意を固めました。
専門学生時代
江戸川区内の専門学校の夜間部に入学が決まり、昼間は仕事、夜は学校に通うという生活を送る事になりました。
夜間部の生徒は年齢も環境もバラバラでした。高校卒業後すぐ入学した学生もいれば、全く別の職種から転職するために資格を取る人、私と同じように整骨院などで働きながら資格取得を目指す人など様々でした。
授業はとても難しく、人体構造を勉強していくというのは想像以上に大変であり、誰もが国家資格を取得するために集中して講義を受け、日々必死になって勉学に明け暮れていました。
学校が終わって家に着き、自炊をして授業の復習をすると深夜に及んでしまうという事も度々あり、とても疲れる毎日でしたが夢に向かって進んでいるという充実感がありました。
大怪我により得た経験
そんな大切な時期に交通事故に遭い、右足の「すねの骨」を二本折る大怪我をしてしまいました。
バイクで出勤途中に車と激突してしまい、その事故直後から右足に電撃が走り、経験したことのない激痛により「骨が折れる」という苦しみを恐ろしいほど思い知らされました。
ふくらはぎの筋肉の「内圧」が上がりすぎて神経損傷の危険性があったため、皮膚から筋肉の表面を切開して「除圧」を行い、骨がずれないようかかとにワイヤーを通して引っ張るといった処置を行いました。
受傷から1週間後、状態が落ち着いたタイミングで手術を行い、右足の骨をボルトで固定して繋ぎました。
術後しばらくはベッドから起き上がれないため、思うように動けずに体中が痛くなり、わずかな振動でも骨折した足に激痛が響き連日39度を超える高熱にうなされました。
普段、健康でいられた事がいかに恵まれていたのか。また、身体が不自由になるという事が生活していく上でいかに辛い事なのかという事が嫌というほど身に沁みました。
手術から2週間後、まだ入院が必要な時期でしたが、学校の単位が切れてしまうという事情により退院を余儀なくされました。そのためある程度回復するまでは専門学校近くに宿泊し、右足にギプスをしたまま松葉杖で登校するという生活を続けました。
松葉杖をつきながらの生活というのは両手もふさがってしまうため、とても不便なものでした。数十メートル進むだけでも左足と両腕にも相当な負担が加わるためにかなりの体力を消耗してしまい、想像以上の労力を伴いました。
仕事も休まざるをえない状況となり、本当に悔しい思いをしましたが、当時から交際していた妻の支えのおかげもあり、辛い闘病生活を乗り越える事ができました。
事故から3か月後、なんと片方の杖で歩けるまでに回復して仕事にも復帰できるようになりましたが、右足には後遺症として常に「しびれた感覚」が残ってしまいました。足首の動きも硬くなってしまい、十分に動かす事ができないため歩行にも支障をきたしました。
事故から二年後にボルトを抜いた後も元の感覚には戻らず、そのまま現在でも右足はしびれている状態です。
ただ、私はこの大怪我をした事により貴重な体験ができたと考えています。
私が実際に怪我を通して感じた痛みや日常生活における苦労…これは、同じように体に不調を訴える方の「辛さ」を理解することが出来る、非常に貴重な経験であったと思います。
知識を学ぶだけでは、実際にその方が抱えている痛みや体の不調を理解する事はできません。身をもって体験できた事により、施術家として働いていく上でとても意味のある経験でした。
国家試験に向けての努力
3年間の学生生活の最後にはいよいよ国家試験が控えており、もちろん合格しないと資格を得る事はできません。昼間の仕事も続けつつ膨大な量をこなさなければならないため、効果的に勉強を行う事が求められました。
そんな中、職場の先輩から勉強法に対するアドバイスをいただき、教わった方法をひたすら実践したところ驚くほど成績を上げる事ができました。それにより自信がつき、国家試験に向けてそれまでの人生の中で最も真剣に勉強に取り組む事ができました。
日中は仕事、夜は専門学校、その後明け方まで勉強を行うため、試験まであと2ヶ月という期間には1日の睡眠時間が3時間という生活が続きました。
試験当日はとても緊張しましたが、自信をもって臨むことができました。それでも結果発表の日までは不安な日々が続きましたが、努力の甲斐が実り無事、国家試験に合格する事ができました。
試験結果発表の直後、念願の「柔道整復師」の資格を手に入れられた事で涙が出るほど嬉しく、妻と手を取り合い歓喜したのを覚えています。
リハビリスタッフとして
卒業後、晴れて正式に整形外科でリハビリスタッフとして働かせてもらう事になりました。
中学時代からお世話になってきた整形外科で働く事ができたのは本当に幸せだったと思います。院長はじめ先輩方は僕が資格を取れた事を心から祝福してくださり、また資格を取ってからの仕事は責任も大きくなり、毎日忙しい日々が続きました。
そんな時期、国家試験の勉強のやり方を教えていただき、一番お世話にもなった先輩が独立して整骨院を開業するために退職してしまう事となりました。
一番仲良くしていただき、私を中学時代から面倒をみてくださり、大人になってからも施術家としての考え方を教えてくださった最も尊敬する大先輩でした。
当時の私にとってはとても寂しい出来事でしたが、その先輩は最後に「施術家としての経験を積むため、ここの整形外科以外にも勤めて勉強しなさい。」という助言を残してくれたのです。
その整形外科はとても働きやすかったのですが、たしかに昔からの慣れ合いに甘えている自分がいたのも事実。自分を厳しく律するためにも、新たに違う環境に移る必要性を感じたのでした。
先輩が退職してから1年後。自己の見分を広めるため、お世話になった整形外科を退職する決意をしました。千葉県内の整形外科に就職する事が決まり、同時に長年付き合っていた妻と結婚し、新たな生活を始める事になりました。
新天地にて
新しい職場ではリハビリ主任として配属されましたが、人を管理する事に不慣れだったために周囲に迷惑をかけてしまうばかりでした。それでも周りのスタッフに支えられながら徐々に仕事にも慣れ、責任者として大きく成長させていただく貴重な経験を積ませてもらえました。
その整形外科医院では定期的に大学病院のドクターや教授が来院するため、たくさんの症例に触れる事ができました。
レントゲン分析や折れた骨を元の位置に戻す技術、それをギプスで固定する方法など「急性的な怪我」に対する知識・技術を学ぶ事ができ、大変勉強になりました。
また、他のリハビリスタッフと休日返上で他の整骨院への訪問や各種セミナーへの参加を行うなど、より貢献できるよう技術・知識の研鑽に励みました。
やがてそのように勉強して得た能力を発揮するため、「いずれは自分でも整骨院を開業したい」という願望を抱くようになりました。
そして千葉県内の整形外科医院に勤めて3年半経った時期に、「自分自身の施術技術・知識で人々の健康増進に貢献したい」という思いから独立開業を決意しました。
独立開業
整形外科を退職後、平成24年3月に千葉県佐倉市にて「かぶらぎ整骨院」を開業しました。しかし、開業して直面したのは「開業はゴールではなく新たなスタート」という現実でした。
整骨院の利用者様は慢性的な肩こり・腰痛などを訴えて来院される方が非常に多く、開業当初は「いかに痛みを解消させるか」という事にフォーカスを置いて施術を行っていました。しかしたとえその日の「痛み」を様々な手技や機器により一時的に解消させたとしても、また数日後には痛みが再発してしまうという事例が非常に多かったのです。つまりは「痛みの解消」と「なおる」という事は全くの別物であり、実際にその方を本当の意味で健康へと導くためには症状をきたす根本原因を解消させなければいけないという事実に直面したのです。
そのような方の症状を根本から改善できないものかと試行錯誤する中、慢性疾患の多くは「姿勢の悪化」により引き起こされるケースが圧倒的に多いという事がわかりました。
例えば「ぎっくり腰」も何かの拍子に痛めてしまった症状のようですが、実際には長期間の慢性的な腰痛を抱えた結果として急性的に起こる症状であると考えられています。そして慢性的な腰痛をきたす根本原因、それは長期にわたり体に負担が蓄積した結果発生する姿勢の歪みにあるため、それを解消させない限りは本当の意味で「なおった」という事にはならないのです。
しかし長期間の負担により発生した姿勢の歪みを解消させるには、同様に長期間・適切な頻度での施術が絶対的に必要になります。つまりは施術計画に納得してもらい、継続的に施術を受けていただくという事が必要不可欠となります。
そのためには適切な「ヒアリング・検査・姿勢分析」を通じてその方に起きている問題と根本原因である姿勢の歪みを明確にし、改善の見込みと施術計画を伝える事にフォーカスしなければいけません。
当初は思うように根本改善の必要性を伝えられませんでしたが、日々研鑽を重ねる事で多くの方に姿勢改善のための施術計画に同意していただけるようになりました。そして歪みが解消した結果「根本から良くなる事ができた!」という、本当の意味での感謝の声をいただけるようになったのです。
より多くの方の健康への貢献を目指して
そういった方々の声を励みに日々施術を行う中、自分の技術・知識をもって「今までよりもより多くの方々の健康への貢献を目指す」という目標を掲げるに至りました。そして様々な可能性の中から、よりたくさんの方が住む地域へと移転を行う決断をしたのです。
移転に向けては千葉・東京を中心にたくさんの物件の内見をし、条件の合う候補の中から総武線沿線・新小岩駅近隣テナントビルへの出店を決定しました。
そして令和元年9月に佐倉市から葛飾区新小岩へと移転を行い、姿勢改善専門の整体院として「しんこいわ姿勢整体院」をオープンする事ができました。
駅前再開発に伴い、幼少期を過ごした市川市へ
移転以来たくさんの方にご来院いただき、また数多くの施術を行わせていただく事ができました。そんな中、新小岩駅周辺は都市再開発計画により大きく生まれ変わろうとしており、当院の入居していたビルもその対象区域となりました。それに伴い再度移転を行うべく、数多くの候補地の中から市川市・八幡地区に移転を決断しました。
今から35年以上も昔になりますが、かつて私は小学校3年生までを市川市で過ごした経緯があります。本八幡駅北口のハタビルには当時映画館があり、家族や友人とよく映画を見に出かけた記憶を今でも覚えています。
当時の友人とは疎遠となってしまいましたが、幼少期を過ごした市川で整体院を開業できる事に改めて深い縁を感じております。
これまでに培った開業歴12年・施術家歴23年・延べ施術人数130,640人の経験を糧に、令和6年6月からは「やわた姿勢整体院」として移転オープンいたします。今後、市川市八幡地区の皆様の健康に貢献できるよう精一杯取り組んで参ります。
「健康は姿勢から」というテーマのもと、症状の根本原因である姿勢の歪みの解消を目的とし、一人でも多くの地域の方々の健康増進に寄与する事が我々の目標です。
是非、今後ともよろしくお願いいたします。
やわた姿勢整体院 院長 横川賢一